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北京一零一中学2003届高三8班论坛[语文] [返回] → 浏览:<倦夜>的解析 标记论坛所有内容为已读 

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 xylo 

 

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 杜甫、この八世紀中国の詩人の詩を読んで、最初に受ける感銘の一つは、その表現の
端正さ、緻密さである。
 杜甫はもとより詩人である。故に情景を常に雰囲気に於いてとらえる。しかしそれを漠然
たる雰囲気のままに、おぼめかして、表現することはない。雰囲気の中核となり、情景の
全体を暗示するものを、たくみにつかみ出す。たとえば、倦夜、ながきよ、と題する詩の冒
頭の二句にはいう。
  竹涼侵臥内   竹の涼しさは臥の内を侵し
  野月満庭隅   野の月は庭の隅に満てり
 さわやかな初秋の夜、しかし風はない静かな夜、その雰囲気の中核となるものは、寝室
の窓の外に、月光を受けて光る竹であった。竹のありさまは「涼」という抽象名詞に集約さ
れ、寝室の中までしみこむ竹のすがすがしさは「侵す」とたくみに擬人化されている。
 やがて、杜甫の目は、竹の涼しさ誘われて、しだいに遠くへとうつる。見よ月影は、わが
草堂の庭の隅々にまで、満ち溢れているではないか。杜甫の草堂は、成都市の西の郊外
にあった。故に「野の月」という。草堂の庭に惜しみなくふりそそぐ月、それは草堂の外の
原野をも照らす月であった。いわばそれは人間の生活とまじりあった都市の月ではなく、
自然の善意をはだかの形で示す月である。杜甫の用語は、いつもこのように緻密である。
 更にまたこの二句が、杜甫のいつも愛用する技法として、完全な対句であることを知る
ならば、その表現の端正さは、一層よく理解されるであろう。
  竹涼侵臥内
  野月満庭隅
 かく、同じ品詞の言葉を同じ地位に置き、完全に文法的構造を同じくする二句は、同じ
構造にある故に、一括して読まれることを求め、且つ上下句の一字一字をにらみ合わせ
つつ読むことを要求する。ところでかく対比されつつ読まれるということは、特殊な詩的効
果を生む。上下句は横におき並べられた二枚の畫のように、見くらべられ、はては二枚の
幻燈板のように、重なり合うからである。かくて上の句の竹は、下の句の月光の中にうか
び出ることによって、いよいよ涼しげにけむり、下の句の月は、竹を中心としてけむること
によって、一層清らかである。こうした対句の技法は、杜甫以前の中国の詩が千年以上
にわたり、しかしおおむねの場合は、単に機知的な語呂合わせに墮しつつ、培って来たも
のであるが、それを最も芸術的に働かせることに成功したのが、杜甫であった。
 さてかく第一の対句で、情景の中核となり、外廓となるものを描き切った杜甫は、第二の
対句では情景の更に尖鋭な部分へと食い込む。
  重露成涓滴   重なれる露は涓滴と成り
  稀星乍有無   稀らなる星の乍ち有りてまた無し
 露は葉末に集まって流れ落ちようとし、月光の海に浮かぶ星くずは、月の軌道の移り進
むにつれて、或いは消え、或いはかすかにまばたく、つまりこの二句は、自然を推移の相
でとらえたものである。「逝くものはかくのことし、晝夜をわかたず」と、孔子が川の水をた
たえて以来、推移の感覚こそは、中国人の世界観の中心となるものである。従って自然
の神秘を推移の相でとらえようという努力も、杜甫以前の詩人が久しく努力してきたもので
あるが、それに成功したのは、やはり杜甫であった。
 ところで、推移の感覚は、近づききたる老年へのおそれとして、人生の感覚と連なってい
る。中国の詩に常に流れる悲哀、それはみな何がしかそれから生まれる。杜甫の場合は
ことにそうであった。政治家として人類に寄与したいという希望を熱烈にいだきつつ、しか
も希望は裏切られ通しであったからである。その悲しみをあらわに歌うのは、数々の長詩
であるが、この短い詩では、杜甫はその悲しみを、直ちにはあらわにしない。わが心の悲
しみと似て、わが心の悲しみを象徴すべきものを情景の中に浮かび上がらせる。これもま
た杜甫のしばしば用いる技法の一つであった。
  暗飛蛍自照   暗きに飛ぶ蛍は自ずからを照らし
  水宿鳥相呼   水に宿る鳥の相い呼ぶよ
 くまない月光も及ばない木かげ、そこにそっとわが身の周囲だけを照らして飛ぶ蛍。また
水禽は、夜の時間に生まれる故に、夜の時間をその世界とするいうのに、なぜあんなに
悲しげに叫び合うのであろうか。蛍、鳥、むろんみな杜甫自身の象徴にほかならない。
  萬事干戈裏   萬事は干戈の裏なり
  空悲清夜徂   空しく悲しむ清夜の徂くを
 それはまことに清らかな夜であった。竹、月、露、星、蛍。時々聞こえる水鳥の声のほか
には、何の物音もない。しかし、この小さな平和を取り巻いてその周囲に展開する世の中
のさまはどうであろうか。内乱につぐ内乱である。この清らかな夜にも、悪意と暴力とは、
世界の他のより広い地帯にうずまきつつある。それを救い得ないおのれ。というよりもお
のれにそれを救わせない世の中。そうして時間の上に無秩序のみをきざみ続ける人間の
世界。そうした人間の世界とは反対に、自然はあくまでも秩序と平和に満ちて、清き夜を
徂かせる。時々聞こえる水鳥の声さえも、それはそれなりに生活を楽しんでいるのであろ
う。他の中国の詩人の場合と同じく、杜甫にとっても、自然は完全な秩序であり、秩序の典
型であった。人間の世界にも、自然のような正しい秩序をもち来たそうということ、それが
杜甫の一生を通じての願望であり、この願望に対する誠実な情熱こそ、杜甫のすべての
詩の源泉であり基調であった。
 端正な表現、それもまた人間の秩序を愛する心の、また一つのあらわれであるにすぎな
い。
  竹涼侵臥内  野月満庭隅
  重露成涓滴  稀星乍有無
  暗飛蛍自照  水宿鳥相呼
  萬事干戈裏  空悲清夜徂









我爱苹果!!


发贴时间2003/05/18 06:15pm IP: 已设置保密[本文共4876字节]  
 一 




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 看上去很赏心悦目,很整齐很丰富!







发贴时间2003/05/20 10:02pm IP: 已设置保密[本文共32字节]  

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